テーマ「フェアトレード商品や作業所製品を魅力ある商品にする、人と人との繋がりの力!」
2016年最初のツキイチカフェは、参加者のみなさんがゲストということで、最初に河西が商社マン時代からフェア・プラス立ち上げに至るまでの経緯をお話しさせて頂き、その後は参加者のみなさんがそれまでの人生、経験なども含めて日頃の思いを語って頂きました。
年配の参加者の方たちは、長い人生の中でいろいろな出来事、経験をされた、みなさん「自分が生かされてきている」と感じていると話しされていました。その経験を社会に生かしていきたいとの思いを、お互いに話しされました。
また、フェア・プラスがマリナオ村と関わることにより、村の暮らしがどのように変わったのかなども話題となり、『人生X途上国支援X障害者支援』をテーマとして、話に深みのある会となりました。
以下、主な話の内容をご報告します。
河西の経歴とフェア・プラス立ち上げの経緯
河西は大学卒業後、ある商社に26年間勤務し、NY駐在7年、世界40か国への出張を経験した。その間、発展途上国の貧しい人たちの暮らしを多くみる中で、政府や大企業の経済取引では貧しい人たちの生活は改善されないと実感した。また、市民マラソンに出場していた時に心筋梗塞・心肺停止となり、一か月の入院、心臓の手術を受け、障害者手帳を取得した。自分が障害者となって、障害者にとって生きにくい社会だと感じた。
また、明日生きているか分からないという思いから、「悔いのない生き方を」と思い、フェア・プラスを立ち上げるきっかけとなった。
フェア・プラス立ち上げ時の問題意識
河西は、途上国の貧しい人たち、障がいのある人たちの社会的問題について、次のような問題意識を持った。それを少しでも改善したいとの思いからフェア・プラスを立ち上げた。
・人は施しではなく、働いて収入と生きがいを得られることを望んでいるはず。当事者の人たちのもの作り(フェアトレード商品、作業所製品)を応援したい。
・国際協力NGOと障害者作業所のスタッフは、同じような状況にあるにも関わらず、ほとんど情報交換、交流がない。お互いに協力していけば、問題解決に向けて、より力になるのではないか。
・スタッフはよいものを作ろうと、一生懸命商品開発に取り組んでいるが、素人のため思うような成果が得られていない。デザイナー、パティシエなどプロの協力を得たら、もっとよいものが作れるのではないか。
・多様な人たちが繋がり、協力することにより、よりよいもの作りができるのでは。そのことを通じて、社会を変えていけるのではないか。
フェア・プラスの活動
これまで4年近くフェア・プラスは、デザイナー、アーティストなどのプロを含め、多くの人たちの協力を得て、次のような取り組みを行ってきた。
・ 一般の商品に引けを取らないスイーツの商品開発を行い、亀岡の作業所で製作した製品をイベント等で販売してきた。現在も、蜜香屋(ルクア梅田店)にて、フェア・プラスで製造した安納芋のパイやシフォンケーキを販売している。
・ 京都造形芸術大学との協働では、2012年通年の選択科目授業として、学生たちがアバカの商品開発に取り組み、2013年には新関西空港の委託で商品開発を行たバッグやクッションを、関西空港、阪急梅田、LOFT梅田で販売した。
・ 着物や浴衣との調和を図ったアバカ・クラッチバッグ、浴衣帯(JIU:慈雨ブランド)、京組紐のブレスレット(AKE:真緋ブランド)を開発し、百貨店、博物館等での販売を行った。
マリナオ村が台風で甚大な被害を受けた時は、義援金を募り支援活動を行った。また、関西のフェアトレードの振興のため、関西フェアトレードMAPの発行なども行ってきた。
参加者からの感想・質問抜粋
・ これまでの人生で、生死の境を彷徨う経験をしてきたことから、「自分は生かされている」との思いを強くもっている。これからの人生ではボランティア活動を続けたい。/ライフワークとして障がい者が中心となって働く作業所を作りたい。
・ 阪神震災から21年、ボランティア活動を一緒にしてきた仲間とのつながりの大切さを実感している。
・ フェアトレードと障がい者分野を繋ぐ取り組みは先々楽しみに思う。学生たちが活動に参加してくれることは社会を変えていく力になると思う。
・ 多くの途上国を訪問したが、衝撃的なことが多かった。(「鉛筆を見たことがない、ノートに書くことが夢」と話をするケニヤの子供たちなど)マリナオ村の人たちの暮らしは、フェア・プラスと一緒にアバカプロジェクトを取り組んでどのように変わったか?
⇒各家庭の食卓のおかずの数が増え、家財道具も少しずつ購入できるようになった。子供たちが小学校、ハイスクールに通い、将来は大学に行きたいとの夢を持つ子供もでてきていると、生活が向上したことを喜んでくれている。
NPO法人フェア・プラス
事務局長 河西 実