1.商社勤務での経験
私は以前ある大手商社に26年間勤め、出張した国は40か国に上ります。途上国との取引では、両国の経済発展に貢献していることに充実感を感じ、大型工事案件にも携わりました。途上国の人たちが豊かな暮らしが送れるようになると信じて仕事をしてきました。
しかし現実は日本で想像するものとは違い、政府や大企業の取引では、農村の人たちの暮らしは豊かにならず、時として豊かな自然を破壊し、貧しい小作農の人たちの土地を奪い、伝統文化を失わせている現実があり、疑問を禁じえませんでした。
2.阪神大震災と大阪ボランティア協会との出会い
1995年阪神大震災の時、私は東京本社で重要案件の取引に奔走していました。被災者の人たちをTVで見ながら、海外出張にも行っていました。そのことが罪悪感としてずっと心の奥底に沈殿していました。
その後大阪に転勤しましたが、仕事や自らの生き方に悩み始めていた時、ボランティア活動に興味を持ち、大阪にあるNPO/ボランティアの中間支援団体の入門講座を受講しました。そこには、仕事帰りで疲れているはずなのに生き生きと活動している若い人たちの姿があり、市民活動の魅力に引き込まれるまで時間を要しませんでした。3年後の2002年には会社を退職し、その中間支援団体で働いている自分がいました。
3.NPO法人アクセスとの出会い、そして心筋梗塞
中間支援団体は、2年の契約期間終了を前に退職し、他のNPO等での職を求めましたが転職はうまくいかず、京都の地元企業に再就職しました。一般企業に転職はしましたが、途上国の人たちへの思いは消えることなく、縁あってフィリピンの支援活動を行っているNPO法人アクセスで、フェアトレード分野でのボランティア活動をするようになりました。
2006年からNPO法人アクセスで理事となり、休暇を利用してフィリピンも訪問していました。その経験とネットワークが現在のフェア・プラスの活動の基礎となっています。
当時健康のためとほぼ毎月市民マラソンに出場していましたが、2010年4月大会で走っていた時に心筋梗塞、心肺停止となりました。幸いAEDで一命を取り留めましたが、救急車で病院に搬送され、緊急入院、手術を受けることになりました。
4.身体障がい者とNPO法人立ち上げ
心筋梗塞により心臓手術を受けたことから、身体障がい者として認定され、会社を退職しました。その後ハローワークに通いましたが、働く意欲・経験があっても、健常者のようにフルタイムでは働くことができない障がい者にとって、一般企業への再就職がどれだけ困難かを実感しました。
そのことから、働く意欲と能力がある障がい者の人たちの社会課題と途上国の働く意欲と能力のある人たちの社会課題、両者の共通性、それらの社会課題を克服していく手だてはないのかと、思いを馳せるようになりました。
さらに心筋梗塞により、自分の命が明日終わるかもしれないとの意識から、それまでの経験を生かし、これらの社会課題に取り組んでいくことをライフワークにしていこうと心に誓ったのでした。
そして、私の理念に共感してくださる人たちを募り、2012年6月NPO法人フェア・プラスを立ち上げました。
事務局長 河西 実